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ドラゴンクエストの思い出

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僕が初めてドラクエに触れたのは4歳の頃だと思う。

ひらがなを辛うじて読むことができるようになった僕は、週末に祖母の家に行く度、ファミコンのソフトを探しては遊んでいた。

そうして出会ったソフトの中の一本が、「ドラクエⅡ」だった。 


ドラクエⅡ - 旅立つ。着のみ着のまま

物語は突如、城に傷ついた兵士がたどり着くところから始まる。

もしかすると取説には、詳しい背景設定が書かれていたのかもしれないが、当時の記憶を探ってみても取説とやらを見た記憶がない。

自身を省みることもしない唯我独尊な4歳児には、目の前に映るゲームを貪ることしか頭になかった。

それでも一応プレイはできる。
なにせファミコンにはボタンが2つしかない。適当に押していれば何かしら反応はするからだ。

今のごちゃごちゃしたコントローラとは一線を画しているのだ。(なんとマイク付き!)

王は宝箱を開けて旅の準備をしろというが、なにせ開け方がわからない。

「はなす」はわかるし「どうぐ」も多分わかっていたと思うが、「しらべる」は4歳児には難解すぎる。

他のコマンドと比べても一段階抽象度が上だ。
スタッフはきちんと考えたのだろうか。
それとも4歳児のプレイは想定されていないのか。

結局、どうのつるぎと50Gには目もくれず、
素手で旅立ったのを覚えている。

僕にとって初めての「旅立ち」だった。

ドラクエⅡ - 向こう見ずな勇者には、死を

外の世界は広かった。言葉では表現できない。
ただの緑のドットが確かに平原になり、その先はどこまでも続いているように見えた。

例えばドラクエヒーローズ2のフィールドは十分に美しいし、
空もじっと眺めていたくなるほどだが、子供の想像力を超えることはできない。

当時の僕にとって、そこには間違いなく無限に広がる世界があった。

そうして探索をしていると、敵が現れた。

スライムが8体。こちらは丸腰だ。
序盤から一人の勇者に8体もの魔物をぶつけてくるFC版ドラクエⅡ。
鬼畜としか言いようがない。

まるでⅡになり複数のモンスターを登場させられるようになったことを誇示するように、
これでもかとばかりに敵が出てくる。

28あったHPは1ターン後には半減し、
その次のターンには画面全体が赤っぽくなり、視覚的に危険を知らせる。
執拗に続くスライムの攻撃。減り続けるHP。

HPの意味はわからなかったが、赤い画面は子供に「死」を意識させるには十分だった。

ドラクエⅡ - 初めての洞窟とトラウマ

半年が経った。
僕はまたドラクエⅡをやっていた。

今度は宝箱の開け方を伯父に聞いていたし、
装備の仕方も教えてもらった。

初めて次のリリザの街に行き、装備を強力にすることに成功。
情報収集など知らなくても、遠くを目指して歩いていれば、いつか洞窟に着く。
逡巡するけれど、好奇心に負けて洞窟の中へ。
音楽からしてやばい場所だと察するが、中に入っていく。

そうして受ける初めての毒。
子供ごころに、毒はまずいと思った。
歩く度に減少するHPに不安を覚えたのか、父親を呼んだ。

親を呼べば助けてもらえると思ったのかもしれない。
残念ながら、そんなことはないんだけども。

イマドキのドラクエなら、毒で死ぬことはないのだが、FC版では容赦なく死ぬ。
そして初めて、棺桶に入る自分を見ることになった。

戦闘で死んでも、自分の棺桶を見ることはないから、あの光景は今でも覚えている。

言い知れぬ不気味さ、そして同時に、「いつか自分も死ぬ」という事実を、現実のものとして認識した瞬間だった。

こうしてドラクエは、幼い僕の心に大きなトラウマを刻みつけた。

結局ドラクエⅡをクリアするのは、SFCで「ドラクエⅠ・Ⅱ」が出てからになる。

ドラクエⅤ - 誰でもいつかは、結婚するもの

5年ほど経ち、小学校高学年となった僕は、「ドラクエⅤ」を買ってもらえることになる。

ドラクエⅤは波乱の物語だ。
最初は父親に連れられて安全な旅をするが、
親の目を盗んで子供だけで冒険に行くし、地味に妖精の国を救ったりする。
誰にでも経験がある幼少時の体験がそのままRPGになっているのだ。

子供がプレイすればそのまま共感するし、
大人がプレイすれば郷愁と共に在りし日の思い出を蘇らせる。
そんなすごいゲームなのだ。

しかし幼少期は凄絶な終わりを告げ、
父親の遺志を継いで伝説の勇者を探す旅に出ることになる。
パパスの手紙のシーンは何度やっても泣く。

そうして天空の勇者を求めて行く先で、
なし崩し的に結婚することになる。
ビアンカとフローラ、必ずどちらかと結婚することになる。

この経験は、全国の男子にある種の「安心感」をもたらした。

「どんな苦難があっても、いつかは異性と素敵な恋愛をして結婚できる」

この感覚が、無意識の奥深くに刻み込まれ、
そうして現実とのギャップに苦しむことになる。

もちろんこの後も主人公はとても辛い経験をするが、最終的には「世界を救った勇者の父親」なのだ。
「夜遅くまで働くそこらの一般人」ではなく。

そのことに僕が気づくのには、それこそ10年の歳月が必要になるのだけど。

ドラクエⅧ - 地平線の広がりと空の大きさを知る

ドラクエⅧはシリーズ初の完全3Dのドラクエだ。
3Dになったことで、目指す先はフィールドの端から地平線の向こうになり、主観視点から見上げる空は現実のものと同様に広かった。

当時僕は大学生だった。
大学生といえば人生で最も自由な時間だから、
ひたすらにゲームとともに過ごした。

ドラクエⅧをやった時は確か長期休みの直前で、それこそ寝る間も惜しんでプレイに勤しんだ。多分一日20時間はプレイしていた。

別にひたすら攻略をしていたわけではなくて、
多くの時間は空を見上げたり、順路から外れた場所を探検することに使っていたと思う。

今の水準からすれば大したことのないグラフィックだけど、
それでも「ドラクエの世界の中に入り込む」経験としては極上のものだった。

多分行けるところはくまなく歩いたと思う。
向こうに山があるから行けるところまで行ってみよう、とか
海が見える!海岸線沿いに進んでみよう、とか。

こういう時に地図はむしろ邪魔だ。
地図がないことで探索する気持ちが呼び起こされる。
不親切と言われるかもしれないが、
それこそアイテムから選択するまで地図は見れないくらいにしてもいいかもしれない。

今でもiPadでたまにやる。
本当はPS2でプレイしたいのだけど、壊れてしまった。

ドラクエⅪ - また、新しい景色を見せてくれるか

そうしていつの間にか過ぎていた30年。

僕は社会人になった。
新人でもなく、中堅だ。色々あったが、結婚もした。
仕事は理不尽で、日々の生活は挑戦する気持ちを容赦なく塗りつぶしてくる。

そんな中で発表されたドラクエⅪ。
このためにPS4も買ったし、予約して発売日に買うだろう。

ドラクエⅪがどんな景色を見せてくれるか。
少年の頃のあの日のような活力を取り戻させてくれるか。
楽しみにしている。